「野球」と政治談議は、どう違うのか

今朝、目覚めると、我がアパートの2階廊下が慌ただしい。 
ドアを開けると 
「201号室の方ですか、すいません、うるさくて」 
と中年男性がいた。 

「盛岡から来ました、よろしくお願いします。202号室のE藤です」 
親子だった。 
東北大学に春から通うため、大学そばの安アパートを求めてやってきたらしい。 

「へえー、東北大ですか。何学部ですか?」 
「経済学部です」 
「じゃあ、川内ですね、近くていいですね」 
「あ、はい。あの、学生さんですか?」 
「いや、ぼくは、もう学生じゃないんだけど」 
「203の人は、どんな人ですか?」 
「どうだろうね、あんま見たことないね」 
「ペットボトルの、あの感じ(散らかってる)からすると、あんまり感じよくないのかな…」 
「ははは、どーだろうね」 

気楽なアパート住いをしていると、なかなか隣人を気にすることも少ない。 
盛岡の高校を卒業したばかりという男性は 
かなり神経質そうな話し方をしていた。 
隣人(私)が、どんな人間か、親子ともども気にしているらしい。 

そういえば、私も初めて大学で独り暮らしをしたときは 
隣人が何者か気になった。 
大学4年の女性で、やたら大人びて見えたっけねえ。 
飲んで帰ってきた後、台所でゲーゲー吐いてる音や、彼氏がきてプロレスしてる音が聞こえてきた。 
私なりの当時を思い出す。 
そうか、彼も似たような気持で、いるのかい。 

いまでも、はっきり覚えている。 
親と一緒に仙台から荷物を持って入居し、親が帰っていった、あの夕方のことを。 
明日、何を食べるか考えた。 
自分の人生が、始まったような気がした、ワクワクして、少し寂しい夕方を。 

* 

「」には野球でなくても、自分の関心ある事柄や、どうしても話したくなる趣味を代入してみてください。 

思えば、当時から私にはスタンスが変わっていないことが1つあり 
それは野球を観る、ということ。 

私は、野球のプレイヤーではない。中学野球以上のレベルのことを 
当事者性をもって語ることができない。 
しかも、ただ試合を何度も、何年も、定点的に見ているというだけで 
「観る」ための訓練や勉強をしたことさえない。 
データを集めてきて、ああだこうだと、言うこともしない。 
「しない」のではなく、単にさぼっている。 

ただ、毎年、同じように見ていると、それなりに「こうなりそうだ」とか 
同じ学校やチームごとの色みたいなものが分かってきて 
「例年」との違いを見つければ、あれこれ、そのチームの変化なり、特徴らしきものを言えたりする。 
そして、そうやって何となく感じたことを、何となく酒の席で話したり 
ネット上で放談している。 

そこには何の正確性も根拠もないし、選手当人やチーム関係者に見られることも 
ほとんど想定していない。 
誰かに迷惑をかける自覚も薄い。 
プロ野球であれば、特定のチームや選手をネタにして 
嗤(わら)うこともすくなくない。 
これも誰かに迷惑をかける自覚が薄い。 
(たとえばAチームを応援する人、好きな人には、この書き方だと申し訳ないな、と思うことがある程度。選手当人にはあまり申し訳ないと思っていない) 

私にとって野球を「観る」とは、そういうことであり 
そのこと自体、ずーーっと継続されている。 

* 

ところが、主に大学入学後、親元を離れて以来 
私のなかで大きく変わったことがある。 
ニュースの見方、読み方だ。 

大学教育の賜物なのか知らないが 
ニュースで伝えられていること=事実 
の等式を片っ端から捨てて回ることになった。 

多少なりとも歴史的な文献に触れたり、個人のモノローグに触れると 
複数の立場や、複数の意見や、複数の試みがなされ 
そこでたまたま選択された1つのものを、私たちは「事実」と言っているらしいことに 
気づいたと言うことだ。 

複数、というのは 
国家のなかにも、組織のなかにも、個人のなかにもあることで 
「中国」は、こういう国だ 
「アイツ」は、こういう奴だ 
の物言いには、ほとんど何の意味もない、ことを学習していく。 

「中国」には、複数のレイヤーがあり、濃淡があり 
「アイツ」の中にさえ、複数のレイヤーや、濃淡があることを 
史実からも個人的経験からも学ぶ。 

最後に残るのは、そんな中でも「中国」が何であり、「事件」が何であり、「アイツ」が何であるかを 
暫定的に1つに絞って報じる力をメディアは持つのであり 
なにゆえに「その」1つに絞られたのか、こそが、大事だという当たり前の話だ。 

そう考えて以来、テレビや新聞で報じられている「事実」があると 
考えること自体がなくなり 
なぜ、「その」事実を、この人は、このメディアは、あえて選択するのか 
その背景にある動機ばかりが気になっていった。 

* 

近年、主に外国人に対する排外的な発言(ヘイトスピーチ)なり 
ある犯罪を犯したり、社会的に不利な立場に追い込まれる人に対するレッテル張りが進むにつれて 
もう一方で、そのような断罪を否定する立場が出てくるようになった。 

パターンとしては、いまある環境、いまある権益を守り抜かんとし 
そのフレームを問い直そうとしたり、揺るがす者自体を否定する「保守」の立場と 
環境や権益をホールディングするものを解体し 
「〇〇であれば仲間に入れてやる」という〇〇に拘束されたコミュニケーションを破壊し、霧散しようとする「リベラル」の衝突が起こる。 

そのときに両派のあいだで起こるのは 
都合のいいニュースを拾ってきて、それを「事実」と確定し 
その確定した「事実」から、演繹的にありとあらゆる自陣の言説を展開するコミュニケーションだった。 
(そもそも保守の立場が唯一の「あるべき現実」を叫ぶとすれば、リベラル側は「現実」の複数化を叫ぶ立場なのだから、リベラルは「現実」を躍起に捏造する必要はないはずだったが…) 

なぜ、その「事実」の唯一性にこだわるのかと言えば(辺野古は唯一の選択!) 
恐らくは
ある定点から出発することにより、ある定点に辿り着きたいという 
明らかな「価値観」の侵入があるのだが 
その「価値観」の曖昧さを見えないようにして、ある明確な方向に突き進まんとするときに 
「事実」が声高に叫ばれるという感じだ。 

* 

さて、私は、実家に近居することになって以来 
書くも恥ずかしい差別的発言を

酒の軽口をとして吐いてしまう父と、それに同調する母に辟易としていた。 

なぜ、老境を迎えた父と母が、そうなってしまうのか、については 
あまり深く問わないこととするが 
(すでにこれについては複数の社会学的、心理学的な分析が公に存在するので) 

ふと思い至るのは 
単に、私のネットコミュニケーションと同じことが 
ここで繰り広げられている可能性があるのでは? 
という疑いだ。 

つまり、自分の「家」という超閉鎖空間のなかでは 
何を言っても、当の人たちに聞こえる可能性はゼロだし、そのつもりでも喋っていないわけだ。 

とすると、両親のヘイトスピーチ自体を 
殊更に問題にするワタシの方こそが「考えすぎ」、「何マジになってんだよ」と突っ込まれる可能性が高く 
「日本の社会が、そういう空気になってるのが、気持ち悪い」 
「家の中で、攻撃的な、他者を根拠なく否定する言葉が飛び交ってるのが、気持ち悪い」
という 
私自身の快不快問題に落とし込まれ 

「アナタのような考え方も1つあるけど」 
「韓国人は恥ずかしい、という考え方も、1つあるよね。同じ1票だよね」 
的な悪しき価値相対主義をそう簡単には抜け出せないのだ。 

* 

まだ仮説の段階だが、恐らく、うちの父に 
「プライムニュースを毎日みるのをやめてくれ」 
「ネットで他国の情報を検索するのをやめてくれ」 
と言ったところで 
それでは「正しい」ニュースとは何なのか、「正しい」検索とは何なのかを 
私の立場で教示すれば、それこそこちら側からの教条主義になってしまうわけだが 

それ以前の問題として 
うちの父のような人間に対し「他国叩き、他者叩き(人の悪口)」を封じれば 
本当に、この人は喋ることが何も無くなってしまう 
いや、もっとライトに考えると 
この人にとっての政治ニュースとは、私にとっての「野球」の問題なのではないかと 
思えてきてならないわけだ。 

「ここは「家」だから、実際の韓国人に聞こえるはずがないでしょ」 
なのであり 
その発想で言うと、私の「野球」発言もまた 
「ここはネットの狭い空間だから、居酒屋だから、当事者に聞こえるはずないでしょ」 
と、根本的な違いを見出すことが 
難しいのである。 

果たして、言動への責任という話で言えば 
もはや私自身、ネットを含めたリアル言説での、「野球」のネタ的コミュニケーションを
やめるべき、もしくは抑えるべきだろう。 
しかし他方で、そこまでギチギチに自分を縛って 
どうすんの? 
他人の悪口や、ちょっとの悪ふざけも許容できないの?あんたは? 
と言われると、かなり困る。 

それでも「政治」や「具体的他者」は、エンタメをぐだぐだ評論することとは 
「重み」が違うんだ、具体的な社会の空気を作るから駄目なんだ! 
と言ったところで 
どーーも、価値相対主義を出ていない。 

リベラルや観念論者の苦しいところは 
こうありたい社会、こうありたいコミュニケーションを求めていくと 
どんどん自分自身が倫理的になり、教条的になり 
自分をも他者をも、その鎖で縛ってしまうという難しさだ。 
これは歴史的に繰り返されている。 
さてさて。 

 

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