SNSのコトバ、AIの小説

広報が、苦手だ。 
デザインの苦手さも関係しているが、それ以上に広報の言葉がうまくない。 

さいころの自意識で 
「作文が得意かも、好きかも」と思ったのは 
作文がモノローグを基本とするものだったから、だと思う。 

私にとって言葉は、密かなるものの表現手段だった。 
学校にいても 
友だちといても 
親や先生など大人といても 
何かが上手くいっていない、何かが上手く言えていない。 
本当は言うつもりもなかったことを 
間に合わせに繋いでしまって、意図しないコミュニケーションを成立させてしまう。 

意図しない間に合わせのコミュニケーションが 
厳然とした「現実」を確定し 
それに対し、一貫性や、責任を求められることが嫌だった。 

その「現実」のままならなさを 
自分のなかで、こっそり補正する手立てが 
家に帰って密かにノートを書くことだった。 

ノート(言葉)は、本当はこうあったのではないか、こうだったらよかった 
本当はこう思っていた 
など、「現実」と、心の奥にやむを得ず収納してしまった「何か」を 
接続する媒体だった。 


そんな中、太宰治など 
憧れの作家が何人かいた。 

彼らは、ひそかなるモノローグの水準において 
「現実」と「自分」を 
非常に独特の文体でつなぐことに成功しており 
そこに作家性、文芸の技なるものを見出していた。 


** 


たぶん、私にとっての「書くこと」への憧れと、文体の選択は 
基本的にそこらへんで止まってしまい 
あまり更新されることがない。 

が、この古典的な近代文学観らしきものは 
どんどん更新されて行ったと思って間違いない。 
私のついていけない領域に。 

戯曲などの要素を借りながら「会話文」が洗練され 
描写の技術が高められ 
現代詩、現代文学の誕生は 
「モノローグ」の危機、語り手、書き手、まなざし、家族、性、国籍の主体性を解体し 
統合失調的な文体を可能にしていく。 
村上龍村上春樹吉本ばなな綿矢りさ、村田紗耶香… 


いわゆる「文学」の文体が変わっていくと同時に 
学術の世界の文体、ビジネスの世界の文体、雑誌・新聞の文体も 
何がしか変わったのだろうけど 
それはまだよく分からない。 
また、これらの文体の変化には、「文章がどのように読まれるか」という 
環境の問題、情報流通の問題が、深く関連している。 


むしろ明らかに変わった(現れた)のは 
SNSの世界の文体で 
これが興味深くもあり、怖くもある。 

SNSに使われる言葉は 
ある意味で、「遠くに飛んでいく」言葉のように見える。 
遠くに飛びやすい言葉と 
飛びにくい言葉が混ぜられている。 

遠くに飛びやすい言葉が多く混ざると 
いいね!、リツイートになりやすいが 
必ずしも遠くに飛ばす意図を持たなくてもよくて 
極めてモノローグ的、個人的、遠くに飛ばすつもりがなかった言葉でも 
なぜか人に読まれてしまうことが可能性としてはある。 

恐らく、SNSにおいては 
遠くに飛ばすにせよ、飛ばさないにせよ 
核になるのは多くの人の感情を、共感のフックに引っ掛けられるか否か? 
そのような共感のフックに反応した自分(いいね、リツイートを押す自分)を 
再帰的に、自分の友人たちに見られても良いか否かが 
含意されている。 
(佐田ぬいさんが、いいね!を押しました、とtwitterでは表示される) 

感情を共感のフックに引っ掛けると言えば 
程度が低いようにも思われそうだが 
そもそも、漱石だろうが、鴎外だろうが 
単純モノローグではなく、ただ人を、論理の共感フックに引っ掛けようとしたのか 
感情の共感フックに引っ掛けようとしたのか、何のフックが選択されたかが 
少し違うだけ、という気もする。

そうなってくると 
読み手を、いかなる共感フック(あるいは反発でもいいのかもしれないけど)にも 
引っ掛ける意図なく書かれた文章は 
ほとんど存在しない、ということになってくるのではないか。 

この文章自体も、何かのフックを吊るしているのだろう 
(が、それが何のフックなのか、あまりはっきりしないことが別な問題を生んでいる) 


それがアザトイことなのか、嫌らしいことなのか 
純でないことなのか 
何なのかは知らないが 
事実、そうなっているということを一応、認識することに意味はあるだろう。

 
近代文学の文体、現代文学の文体、詩の文体、学術論文の文体、ビジネス文書の文体 
手紙の文体、マスメディアの文体、SNS言葉の文体、非文字の文体が 
それぞれ、どういう技術で書かれていて 
どういう動機、どういうフックに引っ掛けようとして書くのか、読まれるのか 
自覚的になることが新しい時代の作文教室といった感じだろうか。 


佐藤理史『コンピューターが小説を書く日ーAI作家に賞はとれるか』を 
読んでも 
なかなか分かりにくい部分が多かったが 
「文体」そのものは、もっと技術的に処理されつつ 
もっと自覚的に選ばれても良かろうと感じている。 

個人的には、AIにどんどん小説を書いていただき 
文体、作家に宿る「神性」を解除してくれた方が 
むしろ文体は復活するし、誕生するような気がしている。

AIに文章をどんどん書いてもらうことで、「文体とは何か?」を問う私たちの意識が生まれる。 

いろんな文体が復活し、誕生することは、ある種、生き易くなると言うことだろうと 
思っているのだが。 

 

 

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体操について考える

NHK第一、6時30分からのラジオ体操を 
よく活用している。 
ラジオ体操の音源ぐらい、どっからでも手に入るのに 
やはり朝6時30分までに起きて、体を動かすこと自体に意味を感じてしまう。 

準備体操という言葉があるが 
私は長いあいだ、ずっと、体操は何かの準備であって 
体操が終わった後は、しかるべき本番が始まるのだと思っていたし 
学校時代は、そうだった(水泳、徒競走、球技、部活) 

** 

年のせいか、性格のせいか、状況のせいか 
何だかよく分からないが 
自分はこのまま、一生、準備体操をしたまま、何となく寿命が尽きるのではないかと 
少し前に考えた。 

準備体操は、頭をほぐす、身体をほぐす、固着や居着きを避けるために 
行われるものと考えられるが 
「では、何のために頭をほぐしたのか」 
「では、何のために身体をほぐしたのか」 
と言われても 
そう簡単には答えられない自分を見つけるのだった。 

** 

というのも、私はよく本を読むし、ラジオも聴くし、記事も読むし、映画や博物館の展示などを含めて 
何がしかを吸収する意欲や量は、かなり多いと思う。 
そのなかで、自分の生地を練ってきた。 
不充分なところも多いが、そう悪くない厚みをもった感覚はある。 

若いころの私は、これは「何か、しかるべきこと」 
自分で固有の表現やら、固有名がついた何かを成すための 
準備や勉強だと思って 
他人がつくった作品やら、既存の文化のありようを摂取してるのだと 
とりあえずは言い聞かせてきた。 
要するに試合本番のための、準備運動という発想だ。 

ところが 
「自分で固有の表現」やら、「固有名がついた何かを成す」ことが 
思ったより難しかったり 
そのことに拘泥することで自分の心身を擦り減らすに至っては 

「それそのもの」が、楽しいから、自分の心身を「主観的」に豊かにするから 
という理由を自然と選択するようになっていく。 

体操は、何かのための体操ではなく 
体操そのものが楽しい、気持ちいい、と言い始める。 

** 

おそらく、ほとんど99%の人間は 
自分の感ずるところを、最終的に、そう持っていかないと 
生きていくこと自体が困難であり、虚無だと思うのだが 

自分が「そうやって」生きていることを 
客観的に、他人に見える形で、自己証明することが 
とても難しい。 
わかりやすい成果物を持ってこない、目に見える(昭和的)基盤整備を果たさない 
「楽しい」、「気持ちいい」、だから、いいんです。 
という居直りが難しい。 

これは簡単に言って、呪いでしかない。 

私にとって、この自己証明の相手っていうのは 
ずーーっと、両親だった。 
いまも、昔も。 

「楽しい」、「気持ちいい」 
ではなく 
これが何の実益になり、何の名誉になるのかを 
明示的に説明しない生き方を 
まだ許してくれていないように思えてならないからだ。 

私自体、20-30代の序盤までを 
「これは「何か」の準備体操なのだ」と 
言い訳して 
ずっと両親(仙台)から逃げ続けてきたツケでもある。 

「何か」が無くなったのなら 
もう、本番(安定した就職!結婚!子育て!親の介護!)のみだから 
オマエにはあまり時間はないぞ! 
というプレッシャーが、きつくなる。 

それこそ、私がもっと年老いれば許してもらえるのか 
両親が自然の摂理で寿命を全うすれば、許してもらえるのか 
そのとき、自分は何歳なのかと、切実に考える日もある。 

そして、そんな「私に対して上位者(立派な大人)」として振る舞う親当人が 
異なる他者や、未知と向き合うことができない 
ヘイトスピーカーであることを、私は許せないでいるのだった。 

(…というか、うちが特殊なのではなく、大学から文系学部が消え、何の役に立つかを一覧明示、数値換算できない限り、学問が成り立たないことと、全く同じ問題なのですが)

** 

体操は、体操そのもの、体操しているうちに 
何となく人生を閉じてはいけないのだろうか。 

もっと言えば、体操は何かのための、誰かのための、体操でなくてはならないのか 
体操は、自分の頭と身体の世界を 
しなやかにするだけでは、許してもらえないのだろうか。 

もう、体操しかできない私は 
せいぜい、ラジオ体操仲間を探すので精一杯である。 

そして、我々がやっているラジオ体操は 
他人からはラジオ体操にしか、見えない。 

いつ、走るんだ?? 
と言われ続ける。 
走らないなら、体操する意味がないぞ!!と聞こえてくる。 


ちょっと飛躍かもしれないが、上の世代に何のかんの言われ続けているうちに 
何にも確たる足場をつくれず 
年をとっていく世代なりの、共通テーマという気がするが。 

あとは、どうやって、楽しくラジオ体操やりましょうか 
という話でしかないから 
アクティブに、全速力で走ることや、打ったり投げたりしているわけではないので 
傍目にはやはり、何もしていないように見えてしまう。 

〇〇世代、△△しない若者、□□系 
などと言われたまま、きちんと反論できないまま、あるいは前の時代を拒絶も受容もできないまま 
ぬるぬる来てしまった気がする。 
もうすぐ令和の子どもが生まれる…

 

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「野球」と政治談議は、どう違うのか

今朝、目覚めると、我がアパートの2階廊下が慌ただしい。 
ドアを開けると 
「201号室の方ですか、すいません、うるさくて」 
と中年男性がいた。 

「盛岡から来ました、よろしくお願いします。202号室のE藤です」 
親子だった。 
東北大学に春から通うため、大学そばの安アパートを求めてやってきたらしい。 

「へえー、東北大ですか。何学部ですか?」 
「経済学部です」 
「じゃあ、川内ですね、近くていいですね」 
「あ、はい。あの、学生さんですか?」 
「いや、ぼくは、もう学生じゃないんだけど」 
「203の人は、どんな人ですか?」 
「どうだろうね、あんま見たことないね」 
「ペットボトルの、あの感じ(散らかってる)からすると、あんまり感じよくないのかな…」 
「ははは、どーだろうね」 

気楽なアパート住いをしていると、なかなか隣人を気にすることも少ない。 
盛岡の高校を卒業したばかりという男性は 
かなり神経質そうな話し方をしていた。 
隣人(私)が、どんな人間か、親子ともども気にしているらしい。 

そういえば、私も初めて大学で独り暮らしをしたときは 
隣人が何者か気になった。 
大学4年の女性で、やたら大人びて見えたっけねえ。 
飲んで帰ってきた後、台所でゲーゲー吐いてる音や、彼氏がきてプロレスしてる音が聞こえてきた。 
私なりの当時を思い出す。 
そうか、彼も似たような気持で、いるのかい。 

いまでも、はっきり覚えている。 
親と一緒に仙台から荷物を持って入居し、親が帰っていった、あの夕方のことを。 
明日、何を食べるか考えた。 
自分の人生が、始まったような気がした、ワクワクして、少し寂しい夕方を。 

* 

「」には野球でなくても、自分の関心ある事柄や、どうしても話したくなる趣味を代入してみてください。 

思えば、当時から私にはスタンスが変わっていないことが1つあり 
それは野球を観る、ということ。 

私は、野球のプレイヤーではない。中学野球以上のレベルのことを 
当事者性をもって語ることができない。 
しかも、ただ試合を何度も、何年も、定点的に見ているというだけで 
「観る」ための訓練や勉強をしたことさえない。 
データを集めてきて、ああだこうだと、言うこともしない。 
「しない」のではなく、単にさぼっている。 

ただ、毎年、同じように見ていると、それなりに「こうなりそうだ」とか 
同じ学校やチームごとの色みたいなものが分かってきて 
「例年」との違いを見つければ、あれこれ、そのチームの変化なり、特徴らしきものを言えたりする。 
そして、そうやって何となく感じたことを、何となく酒の席で話したり 
ネット上で放談している。 

そこには何の正確性も根拠もないし、選手当人やチーム関係者に見られることも 
ほとんど想定していない。 
誰かに迷惑をかける自覚も薄い。 
プロ野球であれば、特定のチームや選手をネタにして 
嗤(わら)うこともすくなくない。 
これも誰かに迷惑をかける自覚が薄い。 
(たとえばAチームを応援する人、好きな人には、この書き方だと申し訳ないな、と思うことがある程度。選手当人にはあまり申し訳ないと思っていない) 

私にとって野球を「観る」とは、そういうことであり 
そのこと自体、ずーーっと継続されている。 

* 

ところが、主に大学入学後、親元を離れて以来 
私のなかで大きく変わったことがある。 
ニュースの見方、読み方だ。 

大学教育の賜物なのか知らないが 
ニュースで伝えられていること=事実 
の等式を片っ端から捨てて回ることになった。 

多少なりとも歴史的な文献に触れたり、個人のモノローグに触れると 
複数の立場や、複数の意見や、複数の試みがなされ 
そこでたまたま選択された1つのものを、私たちは「事実」と言っているらしいことに 
気づいたと言うことだ。 

複数、というのは 
国家のなかにも、組織のなかにも、個人のなかにもあることで 
「中国」は、こういう国だ 
「アイツ」は、こういう奴だ 
の物言いには、ほとんど何の意味もない、ことを学習していく。 

「中国」には、複数のレイヤーがあり、濃淡があり 
「アイツ」の中にさえ、複数のレイヤーや、濃淡があることを 
史実からも個人的経験からも学ぶ。 

最後に残るのは、そんな中でも「中国」が何であり、「事件」が何であり、「アイツ」が何であるかを 
暫定的に1つに絞って報じる力をメディアは持つのであり 
なにゆえに「その」1つに絞られたのか、こそが、大事だという当たり前の話だ。 

そう考えて以来、テレビや新聞で報じられている「事実」があると 
考えること自体がなくなり 
なぜ、「その」事実を、この人は、このメディアは、あえて選択するのか 
その背景にある動機ばかりが気になっていった。 

* 

近年、主に外国人に対する排外的な発言(ヘイトスピーチ)なり 
ある犯罪を犯したり、社会的に不利な立場に追い込まれる人に対するレッテル張りが進むにつれて 
もう一方で、そのような断罪を否定する立場が出てくるようになった。 

パターンとしては、いまある環境、いまある権益を守り抜かんとし 
そのフレームを問い直そうとしたり、揺るがす者自体を否定する「保守」の立場と 
環境や権益をホールディングするものを解体し 
「〇〇であれば仲間に入れてやる」という〇〇に拘束されたコミュニケーションを破壊し、霧散しようとする「リベラル」の衝突が起こる。 

そのときに両派のあいだで起こるのは 
都合のいいニュースを拾ってきて、それを「事実」と確定し 
その確定した「事実」から、演繹的にありとあらゆる自陣の言説を展開するコミュニケーションだった。 
(そもそも保守の立場が唯一の「あるべき現実」を叫ぶとすれば、リベラル側は「現実」の複数化を叫ぶ立場なのだから、リベラルは「現実」を躍起に捏造する必要はないはずだったが…) 

なぜ、その「事実」の唯一性にこだわるのかと言えば(辺野古は唯一の選択!) 
恐らくは
ある定点から出発することにより、ある定点に辿り着きたいという 
明らかな「価値観」の侵入があるのだが 
その「価値観」の曖昧さを見えないようにして、ある明確な方向に突き進まんとするときに 
「事実」が声高に叫ばれるという感じだ。 

* 

さて、私は、実家に近居することになって以来 
書くも恥ずかしい差別的発言を

酒の軽口をとして吐いてしまう父と、それに同調する母に辟易としていた。 

なぜ、老境を迎えた父と母が、そうなってしまうのか、については 
あまり深く問わないこととするが 
(すでにこれについては複数の社会学的、心理学的な分析が公に存在するので) 

ふと思い至るのは 
単に、私のネットコミュニケーションと同じことが 
ここで繰り広げられている可能性があるのでは? 
という疑いだ。 

つまり、自分の「家」という超閉鎖空間のなかでは 
何を言っても、当の人たちに聞こえる可能性はゼロだし、そのつもりでも喋っていないわけだ。 

とすると、両親のヘイトスピーチ自体を 
殊更に問題にするワタシの方こそが「考えすぎ」、「何マジになってんだよ」と突っ込まれる可能性が高く 
「日本の社会が、そういう空気になってるのが、気持ち悪い」 
「家の中で、攻撃的な、他者を根拠なく否定する言葉が飛び交ってるのが、気持ち悪い」
という 
私自身の快不快問題に落とし込まれ 

「アナタのような考え方も1つあるけど」 
「韓国人は恥ずかしい、という考え方も、1つあるよね。同じ1票だよね」 
的な悪しき価値相対主義をそう簡単には抜け出せないのだ。 

* 

まだ仮説の段階だが、恐らく、うちの父に 
「プライムニュースを毎日みるのをやめてくれ」 
「ネットで他国の情報を検索するのをやめてくれ」 
と言ったところで 
それでは「正しい」ニュースとは何なのか、「正しい」検索とは何なのかを 
私の立場で教示すれば、それこそこちら側からの教条主義になってしまうわけだが 

それ以前の問題として 
うちの父のような人間に対し「他国叩き、他者叩き(人の悪口)」を封じれば 
本当に、この人は喋ることが何も無くなってしまう 
いや、もっとライトに考えると 
この人にとっての政治ニュースとは、私にとっての「野球」の問題なのではないかと 
思えてきてならないわけだ。 

「ここは「家」だから、実際の韓国人に聞こえるはずがないでしょ」 
なのであり 
その発想で言うと、私の「野球」発言もまた 
「ここはネットの狭い空間だから、居酒屋だから、当事者に聞こえるはずないでしょ」 
と、根本的な違いを見出すことが 
難しいのである。 

果たして、言動への責任という話で言えば 
もはや私自身、ネットを含めたリアル言説での、「野球」のネタ的コミュニケーションを
やめるべき、もしくは抑えるべきだろう。 
しかし他方で、そこまでギチギチに自分を縛って 
どうすんの? 
他人の悪口や、ちょっとの悪ふざけも許容できないの?あんたは? 
と言われると、かなり困る。 

それでも「政治」や「具体的他者」は、エンタメをぐだぐだ評論することとは 
「重み」が違うんだ、具体的な社会の空気を作るから駄目なんだ! 
と言ったところで 
どーーも、価値相対主義を出ていない。 

リベラルや観念論者の苦しいところは 
こうありたい社会、こうありたいコミュニケーションを求めていくと 
どんどん自分自身が倫理的になり、教条的になり 
自分をも他者をも、その鎖で縛ってしまうという難しさだ。 
これは歴史的に繰り返されている。 
さてさて。 

 

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SNS時代の、作るを問う

仙台生活は、10日になる。
ニトリから長身175㎝ある本棚が4つ届き
6畳間のなかで、本棚を誤って倒したり引きずったりで、フローリング床をガリガリ削りつつ
不器用なわたしは何とか4つの本棚を組み立てた。
「…こ、これは。退去時の敷金が」
本を収納する気力さえ失せるほど疲れ切った。

できあがった4体の本棚は、まるで棺桶のようであった。
小さな人間なら、すっぽり収まりそうで恐ろしい。

**

その間に、twitterを復活させ、ブログを開設した。

私は、せっかく本を読もうが、映画を見ようが、音楽を聴こうが
片っ端から忘れてしまい、同じ本や映画を借りてきてしまうことが、しょっちゅうだ。
記憶や記憶、が苦手らしい。
情報収集も発信も苦手なので、いい機会だと思ったのだが
これはこれで難しいことに気づいた。

**

はたして、皆さんは
誰かに読まれることを想定しない文章を書いたことがあるだろうか?
私は、小学生のとき、ひっそり日記を書いたのが最後だ。

それ以後、書いた文章は
すべて誰かに読まれることを想定して書いていた。
それは公(おおやけ)のコトバを使って書かれ
公の言葉とは、いまやSNSのコトバでしかないのだった。
(あるいは、先生や上司に見られることを想定した文体ぐらいは獲得している気がするが…)

**

人に読まれること、伝わることを前提に書く。
発表の場があることを前提として、何かを作る。
あまりに当然だろうか?

いや、そうとも言い切れない。
私とて、小さい頃に書いた日記は、誰にも見せないものだった。
誰にもやらせないゲームを考え、作るときの面白さ。
そして、あの頃に感じた
考えること、作ることの面白さを、まだ少しは覚えているのだから。

**

よき物語の作り手になれない私は
小説も戯曲も、思うように作れなかった。
うまくいかなかった。

代わりに「視る」ことから世界を広げたり、奥深くに入る
批評や評論のジャンルに関心を持った。

批評や評論と言っても、何のことか理解されないのが普通だ。
(かつては、そうでない時代があったらしい)
要するに、長い文章が読まれにくくなっている、という時代的な制約やら
スマホで文章を読んでいる、というメディア的な制約やら
私の実力以外に、環境が書くことを難しくさせていると思っていた。

でも、じっさいは違っているかもしれない。

**

もしかすると、「人に読まれることを前提としすぎた言葉」(SNSのコトバ)を
使ってしか
何かをできなくなってしまっている自分の困難。
つまり、SNSコトバ、というツールを見直した方がいいのかもしれない。

もはや、たった1人、虚心に書くことさえ難しい。
あえてノートパソコンやスマホをやめ
400字詰め原稿用紙を机に並べて、えんぴつで書き出すことが必要かもしれない。

**

…とか言いつつ、この文章を投稿し、リンクを貼ってしまう私。

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写真は、加藤典洋『僕が批評家になったわけ』

批評についての私が知る限り、最もよいと思う入門書です(私的に)

 

 

客席と舞台と「私」-仙台体験のはじまり

3月初旬、実家のそばにアパートを借り、仙台に帰った。

6畳間のアパートには、まだ冷蔵庫、レンジ、ネット環境が無い。

このブログもメディアテークで書いて、wifi使って投稿している。

それでも、あるいはその不便感ゆえ、私は全く飽きることなく

仙台で行われるイベントに嬉々と参加し、この街の雰囲気らしきものを掴まえるのに専念した。

青森のように雪が無いので、サクサク、どこへでも歩けるし、自転車でいけた。

 

3/9@宮城県美術館「アートみやぎ2019」

3/8@せんだいメディアテーク「仙台デザインリーグ」

3/9@せんだいメディアテーク飯館村へ帰る」

3/10@せんだい演劇工房「短編戯曲賞」

3/11@東北電力ホール「レクイエム演奏」

3/13-15@エルパーク仙台「仙台演劇祭」

3/17@みやぎ婦人会館「若者の居場所づくりとその意義」

 

**

 

いつも思う。

演劇なり、映画なり、美術でも小説でも、何でも人の創作物に立ち会ったときは

忠実に、その創作に向き合わなくては、と思う。

 

なのに、たいてい作品に向き合うことができない。

わたしは結局、作品を視ている「私」を、そこから引き出してしまう。

問いは、作品や役者へと向かわず

むしろ「なぜ、私は、このシーンを、こう視るのか?こう解釈したがるのか?」

という視方の問題へとスライドし

視方とは、結句、「私」の世界観についての反省(反証)なのだった。

 

**

 

そもそも、作品に触れることは

理想的には旅に出るようなもので、普段の「私」を一瞬でも越え、置き去りにする効果があるのだと信じている、

というか信じたいと思ってきた。

なのに、他者の作品を通じて、他者を発見するのではなく、「私」を発見するに過ぎないとすれば

旅に出た先で、ネットやパンフレットで見た既知の風景を次々に「私」に回収して安心し

一歩も私を出ない「私」になってしまう。

そういう人は、あまり旅に出る意味が無さそうだ。

 

**

 

あるいは、逆のことも気になる。

舞台のうえに立って演じるとは

どういうことなのかと強い関心が湧いている。

 

つまり、舞台を観客として眼差している私たちが、その先に「私」を発見することがあるのだとすれば

舞台から観客を見つめている側は、演技を通じて、観客に眼差されることで「私」(演じ方について考えてしまう私)を発見してしまうことがあるのだろうか

それとも演じることで、「私」を彼方に葬り去ることに成功しているのだろうか。

 

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**

 

なぜか、舞台を見つめていると、「私自身」へと

問いの矢印が自分のほうへ向いてしまうことを避けられない。

 

殊更にそれを悪いと思い込むこともないかもしれないが

せっかく、人が創ったもの、その場で演じているものを見ているのだから

作品そのもの、場そのものを、「私」とは無関係に、味わってみたいものです。